たとえ話:知識を身につけることの大切さをトースターで例える

ゲームQAの人はWeb系のQAと比較すると、あまり勉強熱心じゃない気がする。勉強の必要性を感じていないのかもしれない。JSTQBのような資格の取得を促しても「それは意味があるのでしょうか?」と言われることも、ままある。

 

勉強の何が大切なのかというと、勉強しないと自分のスキルを言語化できないことにある。言語化できないと、仕事をセンスでこなしていることになる。ちなみに言語化されたものは、「技術」とか「スキル」とか呼ばれ、それは再現可能・持ち運び可能なものとなる。

センスだろうが技術だろうが、仕事ができているならそれでいいじゃないか、というかもしれないが、センスというのは測ることが難しい。測ることが難しいと何がまずいかというと、何が凄くて何が足りてないのかを第三者が測ることができない。それはすなわち、評価が難しいということである。

 

たとえば、パンを焼くトースターを考えてみる。
センスだけのトースターとは「なんかしらんけど、めっちゃ美味しくパンが焼けます」というトースターである。さて、そのようなトースターが家電量販店に並んでいたとして、あなたは買うだろうか。買うとして、その値段が妥当かどうか、どうやって判断するのだろうか。

 

家電量販店でトースターのスペックを見てみると、「4枚同時に焼ける」「2秒で一気に加熱する」「水蒸気の効果で外はカリカリ中はふんわり焼ける」「掃除がラク」といったことが書かれている。何が出来るのか/出来ないのかが一目瞭然であり、他のトースターと比較可能になっている。

 

自分のスキルを言語化できないと、他者と比較ができない。それはつまり、自分の市場価値がわからなくなる。よくわからないものに高い値段をつける人は少ないので、したがって、自分の年収は低く抑えられがちになってしまう。ゲームQAの年収の低さの原因のひとつは、ここにあるのではないかなと思う。仕事ができる人は結構いるけど、説明ができず年収は低くなりがち(その代わり「リーダーをやっていました」みたいに、肩書で語る人が多い)

 

「勉強しよう」よりも「自分を正確に説明できるようにしよう」と声をかける方が、勉強によるメリットを具体的にイメージできて良いかもしれない。たぶん。