コミュニティへの貢献に対する報酬について考える

先日、とあるミーティングで「テックブログ等で社内外への情報共有を活性化させるためには、どうすれば良いか」という話題になりました。結構、活発な議論になりまして、その時は「記事を書いてくれた人に何かしらの報酬が支払われるべきか否か」が焦点だったように感じました。


私自身、頼まれても居ないのにこうやってブログを書いたりしますし、誰かに頼まれて外部露出をすることもあります。このとき、正直、報酬は意識していません。意識していませんが、経験上自分に何かしらのメリットはあるなぁ、くらいの感覚はあります。
このぼんやりとした感覚に向き合ってみたところ、うまく頭の中でまとまった気がするので、記事に残してみます。


事業への貢献とコミュニティへの貢献

まず、我々は従業員は事業への貢献を期待されています。スキルと時間をアサインされた事業に費やし、事業の売上やユーザー数を伸ばすことが期待されています。僕らの年俸と紐づくのもここでしょう。


一方、冒頭のテックブログや外部露出の話を少し抽象化すると「コミュニティに対する貢献への報酬は何か」という問いになると思います。コミュニティとは何かというと、会社であったり事業部であったり所属グループであったり。


コミュニティに貢献するメリットは、「自分自身が良いコミュニティに所属することができる」ことです。良いコミュニティを自らの手で作り出せるためです。そして、良いコミュニティに所属していると、ストレスが減ったり業務に集中できたりするので、事業への貢献もやりやすくなるかもしれません。


コミュニティへの貢献は、「従業員がやりたければやってもよい」程度のものだと思っています。「やらなければならない」というのも、ちょっと違和感がありますし、「事業の貢献に直接結びつかないものはやるべきではない」というのも窮屈に感じます。
些末な例でいうと、自分の番でトイレットペーパーが切れたら、次の人のためにトイレットペーパーを変えてもいいし変えなくてもいいのです。ただ、変えてくれる人が多いコミュニティの方が、良いコミュニティになる気がします。

 

コミュニティへの貢献の報酬

事業貢献への報酬がお金(=半期ごとの評価)であるならば、コミュニティ貢献に対する報酬は「機会(チャンス)」だと思います。


コミュニティに貢献している人は、周囲の人がポジティブな印象を抱いてくれることが多いです。すると「あの人と仕事してみたい」「あの人にこの仕事を任せてみたい」となり、新たな機会が提供されやすくなるでしょう。新たな機会が提供されることで、結果として、自身の成長にも繋がっていきます。


直接的なメリットではなく、間接的(時差がある、と言っても良い)なメリットを得られることが、コミュニティ貢献への報酬の特徴なのかもしれません。


で、どうすればコミュニティが活性化するわけ?

たしかに。
コミュニティ貢献の報酬についてはスッキリしましたが、どうすればコミュニティが活性化するのかまでは、考えてませんでした。コミュニティ貢献の報酬は間接的なので「別に今はやらなくてもいいや/私がやらなくてもいいや」という判断がされがちです。その重い腰を上げてもらって、コミュニティ貢献をしてもらうには、メリットではなく充実感を餌(言い方)にする必要がありそうです。

ふと思ったのですが、これって献血の構造と似てる気がしますね。痛みを伴って献血しても本人に直接的なメリットはほぼありませんが、「何か良いことをしたぞ」という充実感があります(などと言ってますが、私は献血したことありません。やったことがある人がそう言ってただけです  )。

どうすればコミュニティ貢献から距離を置いているひとに、コミュニティ貢献の充実感を感じてもらえるのでしょうか。別の問いに置き換えると、どうすれば私は献血に行くのでしょうか。うーん、痛くなかったら行くかな。ということは、面倒臭さを解消すれば良いのでしょうか。でも、面倒くさいことをやるのがコミュニティ貢献だと思うしなぁ。となると、いっそのこと報酬をだして・・・(最初に戻る

ちなみに、献血が習慣になってる知人にきっかけを聞いたら「友人に誘われた」とのことでした。確かに学生の頃も、数人で献血に行ってる集団があったなぁ。献血の後にハーゲンダッツをみんなで食べるのが楽しみだったとか。

なるほど。たしかに近所の自治会しかり、コミュニティ貢献している人は、コミュニティ内でのコミュニケーションがご褒美になっている気がしました。つまり、コミュニティ内のコミュニケーションをご褒美にするのが良いのかもしれません。

 

答えは出ない!まぁでも、「目先の損得で判断せずに、とりあえずやってみようぜ」で、半ば無理やり巻き込むのが良いような気がしてます。