dialogue based managementというものがあってもいいかもしれない

天ぷらを10年揚げられず…伝統文化の「下積み」は本当に必要? 賛否両論に専門家は

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190709-00043970-otonans-life

 

読んだ感想としては、下積みが要る要らないではなく、下積みの内容を見直すかどうか、ということじゃないかな、と思いました。

 

僕は伝統文化の世界には居ませんが、「見て覚えろ。そして自分で考えろ。ただし間違ってても適切なフィードバックは与えないし、なんならぶん殴る」的な教育を学生時代の部活や短期間ですが社会人生活で体験しました。

 

そして今、それなりにいい歳になり、教える側にもなった立場からすると、この考え方は、平成も終わり昭和の名残も綺麗サッパリなくなった令和の時代には、流行らないだけでなく、無意味なんじゃないかな、と思います。

 

この手の教育手法に欠けているのは「対話」です。技術や考え方の継承で必要なのは「対話」であると、僕はここ数年のマネジメントの仕事で実感しています。

対話がなくても、まぁ、マネジメントが成り立たないわけではないのですが、その場合は後輩の成長が遅い、長期的にはYesマンの集まりになり、上意下達の多様性のないチームになりがち、というデメリットを抱えているように思います(それはそれで、有効な場面もあるでしょうが)。一言でまとめると、組織の賞味期限が短くなります。

 

賞味期限が短いと書きましたが、企業の管理職と個人経営の伝統文化のオーナーの違いは、賞味期限の意識にあるかもしれないですね。企業の管理職は、自分が居なくても会社や組織が繁栄できるような意識を持って仕事をすることが多いのに対し、オーナーは自分が居なくなったあとのことをそれほど考えていない、別の表現するなら、自分さえいれば仕事が回る状況を問題視していない、ということになるかもしれません。

 

企業秘密の優位性は失われていく

長期間の下積みを共用できた背景のひとつに、「技術が公開されていない」ということがあるかもしれません。この技術がほしければ、文句を言わず従いなさい、という取引が成り立っていた時代があった。

しかし、インターネットがあらゆるものがオープンソースにしていきます。料理のレシピからスポーツのノウハウからゲームの上達方法まで、インターネット上には一流のそれが公開されています(仕事にしろ趣味にしろ、ほんと、いい時代になりました)。

 

この流れが進めば、企業秘密というもの自体が時代遅れになるでしょう。組織の優位性は技術の内容ではなく、習得の難易度(料理でいえば、レシピではなく調理技術)になっていくでしょう。

「言うのは簡単だけど、やるのは難しい」ということに優位性が産まれていくし、それを如何に効率よく継承していくか、というところが管理職の腕の見せどころになるかもしれません。

そして、そのベースにあるのは「対話」だと思うのです。